摂津峡を西に望む帯仕山一帯には塚脇古墳群と呼ばれる古墳時代後期に築かれた古墳が数多くあります。
その中で最も重要な位置を占める古墳が、妙力寺境内の北側にある塚脇F1号墳です。
塚脇古墳群は、帯仕山から芥川西岸にかけて点在する約50基の古墳で構成される古墳群で、横穴式石室を埋葬施設として6世紀後半から7世紀にかけて築かれました。
帯仕山の南西の麓に位置するF1号墳は、塚脇古墳群の中では最大規模を誇る古墳で、他では見られない豪華な馬具などの副葬品が出土していることから塚脇古墳群を解明する重要な手掛かりとなる古墳です。
塚脇F1号墳は横穴式石室を埋葬施設とした直径20m・高さ1.8mの円墳で、塚脇古墳群の中で最も大きな古墳です。
発見当初は、天井石が割れて落ち込んだ状況でしたが、これらを取りのぞいて発掘調査を行ったところ、横穴式石室の下半分が良好に残されていることがわかりました。また、南側の入り口部(羨道部)には、石室を封鎖した状態(閉塞石)がそのままの状態でみつかりました。この石室は、長さ4.3m、横2.5mで普通よりもやや幅広の形で、しかも規模が大きく、使われた石材も大きいことから特別な古墳であったと考えられます。
F1号墳から出土した馬具は、鞍磯金具、轡、鏡板、引手金具、雲珠、辻金具、飾金具があり、このような一揃いの馬具がみつかっているのは、塚脇古墳群ではF1号墳だけです。
これらの馬具は鉄に金メッキを施した豪華なもので、古墳の被葬者が生前に権力の象徴として愛馬をきらびやかに飾りたてていたものです。およそ1500年の時を経て、ほとんどが錆で覆われていますが、ところどころに残る金の輝きは、葬られた人物の権力の大きさを示しています。
F1号墳では、須恵器を中心とした土器が石室の入り口付近から出土しています。
それらは、須恵器の坏・蓋・有蓋高杯・𤭯・提瓶・脚付直口壷・短頸壷で、土師器は無蓋高杯・直口壷がそれぞれ1点出土しています。
武具は、直刀1振と鉄鏃(鉄のやじり)が多数出土しています。直刀は、現存長50.6cmで、茎の先端が欠けていますが、刃部長47cm、刃部幅2.8cmの立派なものです。
鉄鏃は完形品が少ないですが、現存長7.3cm~12.5cmの比較的状態の良いものが5点あります。
工具としては鉄斧が3点出土しています。全長がそれぞれ12.0cm・11.8cm・11.0cmで、上部が袋状のソケットになっており、ここに木製の柄を差込んで使用しました。
耳飾りは棒状の銅を環状に曲げ、金や銀で表面を覆ったもので、9点確認されています。
大形で環の直径が約3cmのものが7点、細身で直径が約2cmのものが2点あり、この細い方の1点は今も金色に輝いています。
ガラス小玉は、直径3.5mm~4mm、厚さが約2mmのものがほとんどで、いずれも中央に孔があり、ここに糸を通してつづり、ネックレスとして使用していました。合計40個を確認しており、大半が淡青色や濃紺色である一方、濃緑色の1個は直径が5.6mmと最大の大きさです。
琥珀玉は2点みつかっており、同様にネックレスに使用されたものとみられます。